きょうの舞台裏

京都の出版社 京都通信社のスタッフブログです。本の制作から出版までの道のりを同時進行で配信しています。
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1月30日

比叡山借景にした庭園として円通寺と並んで名高い正伝寺を訪ねた『重森三玲 永遠のモダンを求めつづけたアヴァンギャルド』では、重森三玲が復元修復した庭として紹介・掲載した庭だ。熱烈なファンがたくさんいる庭だけのことはある。私自身は初めて見せていただいたのだが『重森三玲 永遠のモダンを求めつづけたアヴァンギャルド』で紹介した写真以上に、刈り込みに立体感とボリューム感がある。しかも、借景比叡山が大きく迫る。掲載写真は、かなり短い広角レンズを使っていることで比叡山が遠くに感じるのだが、もちろん別の効果を生んでいる。ともかく、庭という立体藝術の果てしない可能性と力には感動を覚える。
あらためて正伝寺さんを訪ねたのは『重森三玲 永遠のモダンを求めつづけたアヴァンギャルド』の見本を正伝寺さんに置いていただき、気に入った拝観者に電話やネットでの通販で買っていただく方式で、販売に協力していただくためだ。そのために、アクリル製の本立てと、京都通信社のドメインと電話番号などを書き込んだ名刺大の紙を用意した。メモ代わりに持って帰っていただこうというものだ。
もちろん、正伝寺さんで販売していただければ、それにこしたことはないのだが、「こういう本はなかなか買っていただけません。かえってご迷惑をおかけすることになりますから」とのご住職のお言葉に、発売時は委託をあきらめた。とはいえ、ほかの社寺ではまずまずの売れ行きを示しているだけに、なんとしてもこの本を重森三玲のファンの目に留めさせたいという気持ちから、あらためてお願いにうかがったしだいだ。京都市内にある「ほかの重森三玲の庭も見に行こう」という気持ちになっていただくのがいちばん。
ご住職は、大柄で線の太い印象だが、心はずいぶん細やかなお方だ。「では、どこに置くのがいちばんかな、目につきやすくて本が日焼けしないのはどこかな」などとおっしゃりながら、あちこちと場所を考えてくださる。恐縮至極。
けっきょく、入り口近くに置いていただくことになって、安堵しながら雨上がりの参道をバイクを停めた駐車場まで歩く。お礼に、駐車場の縁に散らばっていた弁当箱の空箱と空きペットボトルを拾って、バイクのキャリイにくくりつけた。掃き清められた庭や参道を歩いた人間が、なぜこんなボイ捨てができるのか。「残念ながら、見本誌を持って帰る人がいますよ、覚悟してくださいね」と言わざるをえないご住職のお気持ちが読めた。
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1月29日

製版会社の北村さんが『植治 手を加えた自然にこそ自然がある』の再色校の校正紙の束を小脇に抱えて10時に現れる。「いい仕上がりですよ」とちょっと自慢げ。天地195ミリ×左右220ミリの1ページが片面に12丁(ページ)ぶん貼りつけた形の校正紙(デジタル・コンセンサス)を机に拡げてくれる。たしかに色のバランスはいい。色に深みがあり、空気の透明感、水の清浄感のようなものまで伝わってくる。写真家の田畑みなおさんも、これで喜んでくれるはず。初校では少し赤みが強く出ていた写真も、うまく赤みが抑えられている。担当のオペレーターの感性と技術が写真の表現力を高めてくれている。
これでもういつでも印刷にまわせる。出版もできる。一定の評価も得られるはず。
植治という明治から大正にかけて日本を代表する作庭家の美意識や感性、技術と京都という都市として長い歴史のなかで培われてきた文化との融合の姿、明治という変革の時代に新しい庭園のあり方をもとめ、それを多くの人びとの眼前に提示した植治。その植治とそういう植治を生み育てた時代というものをどこまで表現できたかは、読者のみなさんの評価を待つしかないが、写真をとおして植治の庭を理解していただくことはできたに違いない。
じつは、植治(七代目小川治兵衞)重森三玲の庭は、京都の優れた文化や意匠、感性、伝統、技術を表現するものとして、あるいはそういうものの統合した結果を京都人自らが貴んできたことの証しでもある。外の人に観ていただくだけでなく、京都人のアイデンティティを確認する材料でもあるように思う。
伝統的にものづくりで栄えてきたのが京都である。職人としての誇りの強い人びとが多く住むのが京都である。その職人が継承してきたのは伝統的な技術だけでなく、ものづくりに欠かせないアートの感覚やら感性、ものづくりにこめる愛情のようなものまでふくまれるはずだ。そういう要素は幅広く、多様性に富んでいて、それが多くの人を京都に引きつけてきた。京都はこんごも京都のアイデンティティの一つとして大切にしてゆかねばならない。その心を忘れては、京都はほかの都市と同じになってしまう。京都には、じつはそういう危機感がある。京都からこういう本を出版することをとおして、京都の凄さを外の世界の人に知っていただきたいし、そうすることで京都の人は安心して、自信をもってものづくりに励むことができるのではないかとも考える。
そのような役割を果たすという目的も、この本には与えている。そこで、京都の人たちにこの本の出版に協力していただこうということで、出版する前にいろいろな方に見ていただくことになった。いろいろご支援をいただかないと、地域と密着しないと、取次店も相手にしてくれない新興の出版社はやっていけないというのもホンネである。
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1月26日

左京区の吉田神社のすぐそばにある重森三玲庭園美術館に、重森三明さんを訪ねる。新年のごあいさつを兼ねて、近況の報告『重森三玲 永遠のモダンを求めつづけたアヴァンギャルド』の販売状況の確認が目的。もちろん、庭園を拝見することも重要な目的である。冬の庭はどうなのか、空気が澄んでいる時期だけにきっと緊張感に満ちた姿を見せてくれるはずだと期待しつつ出かける。
重森三玲庭園美術館の庭は、重森三玲が寝起きしていた家の一部を庭としたもので、書院の前面に枯山水の庭が鉤型におさまっている。りっぱな長屋門をそなえた重厚な建物で、吉田神社の神職を世襲的に受け継ぐ社家の家屋として江戸中期に建てられている。のちに近衛文麿京都帝国大学に学ぶために京都に滞在することになったとき、大学に近いこの家が近衛文麿の住まいとなったという由緒もある。鈴鹿家からこの家を譲り受けた重森三玲は、数寄屋茶室を自ら設計して建て、庭をつくり、家族や門人たちと暮らした。作庭家としてだけでなく、茶人でもあり、華道家でもある重森三玲という人間を語るうえで欠かせないことから、京都通信社の本の表紙に使用している。社寺の庭と違って小規模だが、重森三玲の作品のなかでも秀逸。吉永小百合が登場するシャープのテレビ・コマーシャルの背景に使われた庭としての記憶が、多くの方に強く残っているようだ。
重森三明さんは、重森三玲の娘で舞踊家の重森由郷さんの子息。お姉さんの三果さんは新内や小唄の世界で著名。重森三明さんは、フランスの大学でも長く勉強した経験のある美術家。なかなかの文筆家でもあるし、四×五のカメラを操って写真まで撮る。なにより、ものごとを正面から捉えて話題をそらさない姿勢が気持ちいい。
予約なしに伺うと、重森三明さんが庭を案内する声が聞こえる。ただし、一般には予約なしでは入館は許されない。やがて、茶室の案内を終えて庭に出てこられた人は3人のみ。さすがに、真冬の庭見学の客は少ない。「寒い冬に庭を見たいと訪ねてくれる方こそ、だいじにしています」と重森三明さん。
手入れされた庭では、冬の鋭い光線を受けた地苔が黄金色に輝いている。そうでなくともピンと張った緊張感が支配する重森三玲の庭の石は、神々しいまでの存在感を放っている。これまでなんども見たなかで、最高に美しく、インパクトの強い雰囲気に圧倒されるが、同時に庭の立体感が増している。尋ねると、敷き詰めた白い玉砂利の底にたまった泥のような土を掻き出す作業をしているとのこと。苔を育てる土が、長い時間をかけて流れ出し、玉砂利の下にたまってしまうのだそうだ。それを掻き出すことで玉砂利の位置が窪み、苔の部分との段差が大きくなったからだ。
やはり、重森三明さんの愛情を受けつつ手入れされ育った庭である。
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〈シリーズ 京の庭の巨匠たち 2〉植治 七代目小川治兵衞 手を加えた自然にこそ自然がある

植治 七代目小川治兵衞 手を加えた自然にこそ自然がある

2008年2月20日発行予定 
写真:田畑みなお 監修:白幡洋三郎 執筆:尼崎博正 小野健吉 白幡洋三郎 座談会:笹岡隆甫 白幡洋三郎 谷 晃 永田 萠
インタビュー 佐野藤右衛門 森本幸裕 矢ヶ崎善太郎
発行 京都通信社
装丁 納富進+秋葉敦子
A4判変形 120ページ ISBN978-4-903473-02-4
税込み価格 2,500円

七代目小川治兵衞──通称「植治」(1860-1933)
「水と石の魔術師」と評される卓抜した表現力と創造力をそなえた植治。その植治を支えたのは探求心と合理性をともなう技術、それに都市としての長い歴史が育んだ文化、なかでも人工物にたいする美的感覚ではなかったか。明治という革命をへたこの時代は、新しいものを受け入れることに躊躇しない時代。欧米の事情を視野に入れつつ行動する山縣有朋、伊集院兼常らの政財界人と出会い、新しい時代の思潮、西欧的な暮らしを学んだ植治は、異文化を知ることで逆に、京都の伝統文化にアイデンティティを求めた。自然なもの、素朴な表現、つまりは田舎的なものからどれだけ距離をおくかを洗練の尺度とした京都の美意識──人工の美を植治は庭の世界で突き詰めた。それはあたかも、緊張感のない自然を、植治をはじめとする京都の人は許さないかのようである。

■掲載庭園
並河靖之七宝記念館庭園/ 無鄰庵庭園/ 平安神宮神苑/ 平安神宮神苑/ 何有荘庭園(旧和楽庵)/ 円山公園/ 碧雲荘庭園/ 高台寺土井庭園(旧十牛庵)「葵殿庭園」と「佳水園庭園」(ウェスティン都ホテル京都)

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〈シリーズ 京の庭の巨匠たち 1〉重森三玲 永遠のモダンを求めつづけたアヴァンギャルド

重森三玲 永遠のモダンを求めつづけたアヴァンギャルド

写真:溝縁ひろし 発行:京都通信社 装丁:納富進+秋葉敦子
A4判変形 120ページ

作庭家であり庭園研究者、茶道史家であり茶室を設計する茶人、花道史研究家であり近代いけばなの理論家である重森三玲。美の理想を完璧なまでに追い求めた芸術理想主義者は、巨石を花のごとくに立て、色彩を加え、メッセージに満ちた立体造形芸術として庭を表現した。神がみと交信し、響あう空間としての超自然の庭を創造しようと試みるなかで、三玲の意識は、当然の帰結として普遍的な美・永遠のモダンを追求することに収斂・昇華した。その新しい感覚と挑戦のもとに多くの庭を21世紀に残した三玲は、当時もいまも伝統だけではあきたらない日本の若者たち、さらには欧米の人たちから熱い視線を浴びる。

■掲載庭園
東福寺方丈「八相の庭」/ 東福寺 光明院「波心の庭」/  龍吟庵「龍吟庭」「不離の庭」「無の庭」/  善能寺「仙遊苑」/ 光清寺「心和の庭」と「心月庭」/ 瑞峯院「独座の庭」と「閑眠の庭」/ 瑞応院「如々庭」と「楽紫庭」/  旧重森邸(重森三玲庭園美術館)「無字庵庭園」/  石清水八幡宮「社務所の庭」と「鳩峯寮」/  貴船神社「天津磐境」/ 松尾大社「曲水の庭」と「上古の庭」/  正伝寺「獅子の児渡し」庭園/  芬陀院「雪舟の庭」/ 霊雲院「九山八海の庭」「臥雲の庭」

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