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きょうの舞台裏

京都の出版社 京都通信社のスタッフブログです。本の制作から出版までの道のりを同時進行で配信しています。
2008年12月22日〈夢窓疎石をめぐる座談会の日程が決まる〉
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    座談会の出席者のなかでも多忙なのが有馬頼底臨済宗相国寺派管長。相国寺は、夢窓国師を開山とされている。18日には電話で出席を快諾していただいていたが、資料を整えてお届けし、あらためて開催日時の決定をお願いしたところ、天龍寺派管長であった平田精耕の1周忌を過ぎた1月28日に時間を割いていただくことになった。出席者は有馬頼底管長、トーマス・カーシュナー師、西山美香氏、斎藤忠一氏と決定した。
    トーマス・カーシュナー師は、『禅僧になったアメリカ人』の著書でも知られる方で、夢窓疎石の思想についての造詣が深い。夢窓疎石のお墓のある臨川寺に客僧として住まわれている。
    西山美香氏は、『武家政権と禅宗―夢窓疎石を中心に』の著書があり、中世文学と宗教を専門とされている。とにかく、エネルギーにあふれた元気のよい研究者。京都の花園大学と京都女子大学に週に一度は講義に入洛されている。
    斎藤忠一氏は作庭家であり庭園研究家。重森三玲に師事され日本各地の庭を学術的に実測調査されている。西芳寺をはじめ、疎石の庭を情熱的に語っていただけるのは、この人をおいてほかにいない。すばらしい人選となった。
    このメンバーに決まるには、花園大学の佐々木閑教授、天龍寺の栂宗務総長などの助言をいただいた。しかも、有馬管長には、依頼の電話をしたところ、たまたま直に電話をお取りいただき快諾いただくという幸運にも恵まれた。

    | スタッフ日記 | 17:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
    2008年12月4日〈岸和田城「八陣の庭」の撮影〉
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      岸和田城「八陣の庭」の撮影に早朝に出発。重森三明氏とエマニュエルが2日前から撮影の申しこみ。当日の天気予報は晴れのち曇り、翌日は雨とのこと。下り坂の天気だから午後には曇ってくれることを期待。午前中は、砂紋を引き直し、落ち葉の掃除の時間に充てることにする。朝9時には、観光課などの関係者5人もの方に待ち受けていただいた。恐縮。ほぼ半日かけて引き直した砂紋は、天守閣から眺めるとやはり美しい。
      天守閣から鳥瞰して楽しむ「八陣の庭」はまさに革新的で、アヴァンギャルドの重森三玲の真骨頂。したがって、この庭の撮影の季節をいつにするかは、内部でずいぶん議論があった。八陣の庭の輪郭線を明確に撮影するならば、周囲の樹木の枝葉が枯れ落ちた季節にするのがいちばんというのが重森三明氏の意見。重森三玲氏は、周囲の樹木の紅葉や花の彩りに庭の造形がごまかされることを極端に嫌がったことは事実。そのために、三玲氏の庭は原則、植物は苔のみで、花木の植栽を嫌い、庭は白塀あるいは竹の壁で囲んでいる。植栽をせずに砂や小石を敷き詰めると便利なこともある。手入れが簡単で、雑草が生えない。庭師が入るコストも低減できるのである。三玲氏の庭の多くが現存する背景には、そんな理由もあるようだ。
      とはいえ、岸和田城の「八陣の庭」は、芝がその輪郭をつくり、その周囲をたくさんの樹木が飾っている。秋には、サクラやイチョウ、その他が紅葉する。三明氏は、祖父の美意識とこだわりを尊重して紅葉が散ったあとの撮影を希望するが、それではどうにも寂しい。茶褐色の芝はどこかもの悲しい。岸和田在住の井上馨氏が10月末に天守閣から撮影して送っていただいた庭は、緑の芝生がなんとも美しく見える。紅葉もはじまりかけて、やはり美しい。
      けっきょく、今年の3月まで岸和田市の商工観光課長を務められていた原 宗久市民生活部長さんのお奨めにしたがって、天守閣からの撮影は桜のシーズンを狙うことにする。華やいだ「八陣の庭」もまた別の顔を見せてくれるはず。
      井上馨氏をとおして原部長のお話もうかがうことができた。原部長によると、戦後復興期、城址の利用をめぐっては岸和田市の内部でずいぶん議論があったという。グラウンドにする話や転売する話まであるなかで、当時の福本市長は、こんごおかしな方向で利用されることのないようにと考えたすえに、福本市長の英断で重森三玲氏に作庭をお願いすることにしたという。「八陣の庭」の完成は、天守閣の復元が終わる1年前の1953年だった。
      蛇足だが、重森三玲の自宅だった重森三玲庭園美術館の庭には、三玲氏の奥さまの希望を入れて、枝垂れ桜の若木を植えたところ、いまや大木となって、あの緊張感のあるお庭が春ともなると、桜の枝が巨石の上にしなだれるように覆い、華やぐという表現にとどまらず、なんともなまめかしい空気が流れる。

      | スタッフ日記 | 16:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
      12月3日夜〈夢窓疎石作品集の編集会議〉
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        齋藤忠一氏の「夢窓疎石」論を拝聴するために、再度事務所にお越しいただいた。齋藤氏は、夢窓疎石のなかでも、西芳寺を絶対的なものとして重視される。その理由は、以下のようなことになると指摘される。
        1.焼失などによる改変をほとんど受けていない。
        2.龍門瀑の原点がある。
        3.枯山水庭園の原点がある。
        4.日本各地で修業した夢窓国師が、最後にその禅観の境を集大成したのがこの庭である。
        5.「禅の庭」とはなにかをもっとも象徴する庭であり、日本の庭の「清浄感」の原点がこの庭にある。
        6.利休は西芳寺の敷石にヒントを得て露地に石を敷いたと伝えられるように、利休以前の茶庭の原点がある。ただし、利休の敷石は現存していない。
        7.浄土庭園を禅の庭に変質・融合させた西芳寺の庭園は、義満の金閣寺や義政の銀閣寺に影響を与え、銀閣寺・金閣寺など、多くの「写し」を生み出すなどの歴史的意義も深い。
        8.歴代の為政者にとどまらず、現代の作庭家たちにも影響を与えつづけている。
        9.五山文学の発祥と美意識との関わりをもの語る庭である。
        10.いまも「掃除奉行(庭奉行)」があるなど、「禅の庭」の精神が受け継がれている。
        11.紀州や四国にしかない青石(最高権力の象徴)を初めて庭につかった先駆である。
         日本酒をこよなく愛す齋藤氏の庭についての造詣は、ほんとうに深く、なによりも庭をめぐる文化を愛していらっしゃる。論理的で鋭い指摘がつづく。
         そうこうするうちに、齋藤氏と同じく重森三玲の門人であり50年近くの親交がある佐藤昭夫氏が加わる。佐藤氏は現在、京都林泉協会の会長を務める。用意した「ぼたん鍋」らしきものを突きながら、夢窓疎石の人物像や作品集の構想がしだいに固まる。ただし、座談会や執筆者の人選は、いまだ決まらず。

        | スタッフ日記 | 16:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        11月27日〈ジュンク堂パリ店から追加注文〉
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          今年2月12日にジュンク堂工藤恭孝社長にお会いして、ジュンク堂全店で直販をお願いした時点で、工藤社長は「大きく伸ばすなら取次の口座を持ちなさい。大阪屋さんを紹介しましょう」とおっしゃっていただいたのだが、同時に「この本はパリ店でも売れるでしょう。リスクはうちがもつから、パリ店に送っておく」とも。
          その後のことは掌握できていなかったが、ジュンク堂東京の旗艦店である池袋店が必要に応じてパリに空輸していただいていたようだ。池袋店では、〈シリーズ京の庭の巨匠たち〉を常時20冊ずつ置いていただいて、追加注文は直接電話やファクスでいただく。私どもにはもっとも親しく感じる書店、店員の方がたである。しかも、在庫状況はネットでいつでも確認できる。1日前に何冊売れたかまで掌握できる。
          この日の前日、ジュンク堂の兄弟会社で二次問屋のキクヤ図書販売の玉井部長から電話をいただき、海外販売へのまとまった注文はキクヤ図書販売が担当しているので、直取引が可能かとのこと。ジュンク堂の山下繁総務部長からのご紹介でもあり、そのまま受諾。『重森三玲』、『植治 七代目小川治兵衞』、『小堀遠州』をそれぞれ納入する。新たなパイプができたことを素直に喜ぶ。
          パリのジュンク堂は、約9万冊を常備。所在地は18 rue des pyramides 75001 Paris。玉井さんの情報だと、「他国と異なりフランスの場合は日本の知識・造詣が深く、日本語版であっても、芸術関連の本を購入される人のほぼ100%がフランス人です。弊社パリ店は、約95坪に和書中心にて販売しておりますが、購入者は邦人70%。現地フランス人30%の割合になっております」。そもそも、このシリーズの編集はマレス・エマニュエルくん。フランス人で、日本で博士号をもち、植木職人に弟子入りしていた合気道三段の男。英語とのバイリンガルであることで、日本を訪れた欧米人によく買っていただく。なにかの縁でもある。パリジュンク堂書店のホームページは、http://www.junkudo.co.jp 日本をフランスから見るような錯覚を覚えておもしろい。

          | スタッフ日記 | 16:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
          11月25日〈等持院撮影〉
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            | スタッフ日記 | 16:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
            11月17日(月)〈齋藤忠一氏、来訪酒宴〉
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              | スタッフ日記 | 16:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
              11月12日〈等持院に撮影の許可とあいさつ〉
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                | スタッフ日記 | 16:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                11月11日〈重森三玲の石像寺「四神相応の庭」を撮影〉
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                  朝6時半に、三明氏を重森三玲庭園美術館に迎えに。準備の都合もあって、こちらは4時起き。4×5と6×7のカメラに、デジタルカメラ。いくつものレンズに三脚を積んで、いざ出発。五条通に出てそのまま西に。五条通は国道1号線と交わるところから国道9号線に。かつての山陰街道である。向かうは、福知山市の南に位置する市島町にある石像寺。早朝のことだからと、亀岡市を過ぎたところで京都縦貫道を降りて一般道に。フランス人のエマニュエルくんに丹波路の自然と地理を見せておきたいという配慮でもある。
                  その亀岡市にある平山城丸亀城は明智光秀の居城であり、光秀が夜陰にまぎれて本能寺の信長を攻めたときのルートが山陰街道で、亀岡盆地と京都盆地とを老ノ坂(おいのさか)峠の峡谷がつなぐ。都を荒らす酒呑童子が住んでいたのがこの麓の大枝。京都府北部の大江山は、夜な夜な都に通うには遠すぎる。
                  亀岡を過ぎると園部。ここにも城が現存する。櫓門・巽櫓などは江戸時代からのもの。ほかは焼失ではなく解体したというから残念。かつての城内は園部高校の敷地になっている。園部を過ぎて京丹波町の須知にはいると、そこは山城。美しい琴滝もあって、山中に平地と池があるなど不思議な空間をつくる。その先の福知山城もまた美しいし、東京青山の地名の由来となった青山さまの居城であった篠山城も美しいが、さすがに省略する。
                  紅葉のはじまった丹波は、いまだに茅葺きの民家が点在し、品質の高いマツタケの産地として知られる丹波高原は、丸みをおびた低い山が優しい自然をつくる。どんどんと話は脱線するが、歴史的景観も自然景観もとにかくすばらしいのが丹波。明治の廃藩置県で、京都と兵庫に分割されるという悲劇を味わう。天皇のいなくなった京都、未来を拓く港湾都市神戸がともに豊かなヒンターランドを必要としたからだという。
                  市島町にはいりバイパスを走りはじめると、石像寺の場所はすぐにわかった。山の中腹に白く輝いて鎮座する巨石の姿が見える。重森三玲が庭づくりの原点とした磐座(いわくら)である。かつては、樹木に隠れてほとんど見えなかったというが、重森三玲は「このあたりの石倉という地名は、磐座に由来している。石像寺の名も、本来は石蔵寺であるべきものである」というように書いている。地元の人もこの分析に驚き納得したという。
                  石像寺は、曹洞宗のお寺で、永平寺で修業されたご住職に出迎えていただいた。禅堂をそなえた立派なお寺で、参道も趣に富んでいる。本堂の裏手の斜面には江戸中期のりっぱな庭が残る。向かって左手にはやはり江戸後期の池をうがった庭が静寂で穏やかな姿で横たわる。かなり出来のよい庭と見受ける。
                  ところが、その本堂の前庭は、すべてが三玲の具象的な「四神相応の庭」。玄武、白虎、青龍、朱雀、それぞれをイメージして石が組まれている。庭全体を四つに分け、そこに黒、白、赤、青の小石を敷き詰め、そこに龍、亀、虎、鳥が、それぞれ吠え、羽を拡げ、泳ぎ、蠢いている。もちろん、東西南北も意識されていて、四つに区分する延段は直角には交叉させていない。交叉する箇所は小堀遠州的手法で筋違いにずらしている。しかも、延段は異なった材質で構成されている。真行草なのだろうか。
                  さっそくカメラを取りだした重森三明氏は、アングルを探す。集中のために目が据わって見える。それまでの笑顔も言葉もなくなった。祖父である三玲氏の美と感性の世界に一気に入り込んでしまった。
                  こうなると、こちらの二人は、三明氏の動きにあわせて、三明氏が期待しているであろう動きをするしかない。箒如を借りて庭を掃き、雨露を借りてきて水を撒き、みごとな大輪をつけたたくさんの菊の大鉢は、フレームに入るから邪魔だというので動かす。本堂の床下の梯子も写りこまないように運び出す。庭を取り囲む樹木のうちの1本の落葉樹が大きく枝を張り、爽やかに紅葉していた。三明氏はこちらの意をくんで、「紅葉と一緒に撮っておきましたから」。
                  9時半から撮影を開始してそのまま。お昼もいらないという。ほんとうに寒い1日、この日から私は風邪で苦しむことになる。耐えきれずに、車を走らせてコンビニに。撮影を終わってから地元の料理をと楽しみにしていたから、おにぎりと菓子パンにしたのだが、撮影終了は5時。暗くなってしまった。
                  午後、撮影は三明氏にまかせて、お寺の裏にある磐座の探検に出かけることにする。観光開発なのか、地元のレクリエーョンの場なのか、道にそって桜や紅葉が植えられている。それを過ぎると杉木立。道には、まだ新しいシカとイノシシの蹄のあとが点々と残る。地面を掘って土をまき散らした箇所もたくさんある。ミミズを探したあとだ。今年はドングリが少なく、食べ物に困っているそうな。ご住職の話だと、最近はクマまで出没するとか。すこし不気味だが、見通しがよいことを安心材料に大きく蛇行する山道を登る。広く、ゆっくりとした傾斜の山道は、かつては切り出した木材を運ぶ「木馬(きんま)」道であったと推測させる。むかしの「修羅」のように、木材を積んだ重いソリを枕木状に敷いた丸太の上を滑らせるようにして運ぶのが木馬。
                  15分ほど歩いて、まだ岩は見えぬのかと内心不安になりかけたとき、道端に突き出して鎮座する巨石が見える。岩に登り下を眺めると市島の端から端まで展望できる。なんと磐座の上部に登っていたのだ。まさに絶景。たまたま下から磐座を見上げた人がいれば、どう見えているだろうか。とはいえ、高所恐怖症の私には真下は見られない。道を戻って分かれ道を下りの方向に進むと巨岩の下に着く。朽ちかけたお堂も設けてある。やはり長く信仰の対象だったようだ。
                  夕暮れに近くなってようやく、三明氏は撮影終了。こちらは、石像寺と篠山にある四つの三玲の庭の一つか二つは撮影または下見ができると踏んでいたのだが……。
                  石像寺を出て車を走らせはじめると、もうライトを点灯しなくてはならないほど。ようやく篠山に到着。篠山城の家老職の家につくった庭は、いまは篠山観光ホテル。市役所のほぼ向かいにあるりっぱな門は、武家屋敷の名残を留めている。ところが、ロビーに燈は点いているものの、人気はなし。りっぱな調度品やら陶器などが飾ってあるのにだれ一人いない。宿泊客がいないことを理由に従業員はサボタージュしているらしい。あきらめて次の目的地にむかう。
                  そこから30分、ようやくたどり着いた庭は神社の社務所の裏手にあるが、いまは管理人の住まい。暗闇のなかを裏にまわるものの、暗闇に三玲らしい岩が黒い影のようにニョキニョキと立って、周囲を白い曲線が飾っている。そんな庭の存在だけを確かめておしまい。日を改めるしかない。
                  山道を亀岡市にむかって帰路につくことにする。三明氏の労苦をビールでねぎらおうと酒屋を探して走るのだが、一時間走っても見つからない。山中だからいたしかたない。睡魔が襲った三明氏は、後部のシートに沈む。疲れが一気に出たようだ。ようやくコンビニが見つかったのは亀岡の市内に入ってから。三明氏が最近気に入っている濡れ煎餅をつまみに発泡酒をゴクン。あっというまに500ミリリットルを飲み干した。
                  帰宅できたのは、もう10時に近かった。

                  | スタッフ日記 | 16:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
                  11月21日
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                    写真家・ひび貞夫さん来訪。
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                    11月7日〈重森三明氏と打合せ〉
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                      | スタッフ日記 | 16:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |